鶴城中330番から東京理科大学へ合格!(前編)

こんにちは!

今回はとある落ち着きのなかった男の子が、東京理科大学に合格するまでのお話です。

最初にお伝えしておきますが、前職でのお話になります。

入塾当時、Tくんは小学校5年生。正直なところ、集団塾でいいんじゃないかなと思っていましたが、あまりに落ち着きのないTくんを見かねてお母さまが個別希望で連れてきたのでした。

 

まー本当に落ち着きがなかった!椅子に座っていられず、回る椅子でクルクル回り出すので『クルクルくん』というあだ名がついたほどでした。

そんな彼に変化が訪れたのは、1年経った頃・・・でも2年経った頃・・・でもなく、3年経った中学2年生の頃でした。

タイトルにある通り、その当時のTくんの成績は鶴中で330番。成績としては相当厳しかったことを覚えています。

何を思ったのか、Tくんはとある漫画に影響を受けたらしく(その漫画の名前は忘れてしまいましたが・・・)、猛然と元素記号と化学式を覚え始めたのです。その集中力は凄まじく、お年玉で鉱物の図鑑を買ったり、自作で独自の元素記号や化学式の表を作るなど頑張っていました。

その甲斐あって、Tくんは理科だけ98点を取り、理科だけ学年で10番以内に入ったのでした。

私は『すげーじゃん!他の教科も頑張ってほしいけど、とりあえず理科だけは誰にも負けないようになりなよ!』とTくんに言いました。

そして結果から言うとTくんはその後、理科だけは90点を下回ることはなくなりました。

 

 

中学2年生の2学期の三者面談、これも今でも覚えています。私は成績が上がった理科の話をしたのですが、お母さまからはこんな言葉が返ってきました。

『先生、理科が上がったのは嬉しいことなんですが、他は相変わらずひどいですよね??うちは英語と数学を上げたくて通わせているのに、こう理科だけが上がっても・・・。受験は5教科あるわけですし、何とかなりませんか??』

これは本当におっしゃる通りですね。もっと言えば、私は特に理科などを教えたわけでもありませんし、この結果はTくんが自分の力で勝ち取ったものでした。

もっと言えば、3年も通わせているのに肝心の英語と数学が上がらないなんて・・・という思いも当然あったでしょう。

しかし私は特に変わらず、もちろん今後も英語と数学の指導を続けさせていただきたいこと、理科はどんどんほめて前向きな言葉をTくんにかけてほしいことをお伝えしました。

正直なところ、その時点ではTくんの興味は理科にしかなく、彼にとって英語や数学は相変わらず大嫌いな教科でしかなかったのです。

そしてお母さまにも寛大なご理解をいただき、変わらず通塾を続けていただくことになりました。

 

そうそう大切な話を忘れていました。昔も今も変わらないのですが、私は入塾時にいつもお母さまに確認することがあります。

『あんたはいつもゲーム(もしくは漫画)ばかりやって!いつ勉強するの!』

『こんな成績しか取れないんだったらあんたが行ける高校なんかないからね!』・・・といった類の言葉を、普段お子さんにぶつけてしまっていないかどうかの確認です。

もし言ってしまっている場合は、今後いついかなる時も言わないことを約束してもらっています。ちなみにTくんのお母さんは、Tくんが小さい頃からそういった言葉を言い続けていたとのことでした。

私は子どもが子どもの頃に勉強するのは当然だと思っています。しかしそれは強制されたものではなく、きっかけはなんでもいいのでお子さんの内から生まれるものでなければならないとも考えています。

お母さんはひたすら愛情を持って、お子さんの可能性を信じて前向きな言葉をかけ続けてください。そして成績が上がらない、生活が改善されないなどは塾にぶつけるべきです。お子さんにぶつけてはいけません。

話が少し脱線してしまいましたが、次の変化は中学2年生も終わりかける冬に訪れます。

『先生、とりあえず理科の勉強をもっとやりたいから大学ってところに行きたいんだけどどうすればいいや~??』

『そっか。それじゃとりあえず高校受験だね。理科を頑張りたいなら理系、ってところに進まないといけないから進学校に行かないといけないよ。だけどそのためにはTくんの大嫌いな英語と数学もやらなかんよ。しかも今まで手をつけていなかった分もやらないといけないから、周りのお友達の3倍くらいきついけどやれる??』

彼はその日から毎日自習室に通うようになりました。授業そのものは週2で、その週2しか通っていたのが毎日です。

それからみるみるうちに英語と数学もうなぎ上りに・・・と言いたいところでしたがそんなに簡単ではありませんでした。

【続きはまた後日】

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