限界や可能性を決めつけてはいけない
昨日の夜、自習に来ていたRくんが少し浮かない顔をしていました
お・・・なんかあったのかな??と思って彼が取り組んでいる課題を見たら、理由はすぐに分かりました。
課題が彼のレベルにまったく合っていなくて、簡単過ぎるのです。
こんなことを言うと、(山口はなんて傲慢なんだ!学校の課題を蔑ろにして!)なんて意見も出てくるかもしれませんが、果たしてそうでしょうか??
彼は『課題だから』という理由だけで、一生懸命今学校で学習している『受動態』に取り組んでいたのですが、彼はもうとっくにその単元は終わっていて、それどころか高校の内容を学習しているのです。
批判を恐れずに言わせていただければ、分かり切っている九九や、小学校の漢字をひたすら書き取る課題をやっているようなものなのです。
小学校の漢字を延々と書き取る・・・、分かり切っている簡単なものをひたすら時間をかけて書くというのが、果たして彼の何の成長につながっているのでしょうか??
断っておきますが、学校の指導方針を批判したいわけではないのです。
集団授業というものには限界があって、常に学年でトップの成績を取っている生徒も、中学時代の山口のように、本当にテストで0点をとってしまうような学力が遅れている生徒も、同じ空間で同じように理解できるような授業をしなければいけないのですから、そこに限界があることは百も承知です。
ただし、課題くらいは融通を利かせられるでしょう??
そう思いませんか??
分かり切っている”I am a student.”なんて文章を、ノート一面に書く、そこに何の意味もないのに、理由が『いや、でも学校課題だからみんなやってもらわないと・・・。』ではあまりにもお粗末だと思うのです。
事実、去年ですがこんな中学校の先生がいらっしゃいました。
当ブログでも何度も登場している現在刈谷高校に通っている塾生ですが、Rくんと同様に、中学3年生の時点で高校の内容に取り組んでいました。
しかしその塾生が通っていた中学校の先生はなんと・・・、当塾の課題と宿題を学校課題にしてくれていたのです。
もう嬉しいやらありがたいやら・・・、こんな先生もいらっしゃるんだと涙が出そうでしたね。
一度会って飲んでみたい!
話したことはないので分かりませんが、その先生はきっとその塾生に大きな可能性と、通り一遍の課題が無駄であることが分かっていたと思うのです。
高校生に足し算の宿題を山のように出しても意味がないのと同じで、意味のない課題を彼には課さなかったんですね。
集団授業はみなに合わせるのは仕方ないにしても、課題くらいは生徒に合わせてもよくないですか??
これだけできる子ならサボっていないことくらい分かるでしょう。
もしもそれも分からずに、『いや、決められたことなんだから、おまえたちはみな同じ課題を、同じようにやらなきゃダメだ。』なんて言うのなら、もはやご自身の指導力や教務力を疑った方がいいです。
子どもたちには無限の可能性があります。
別にみながみな、横並びに全く同じことを学ぶ必要なんてありません。
しかも伸び盛りの中学生にあって、本当はいくらでも伸びたかもしれないのに、融通の利かない指導と課題でその芽を摘んでいたとしたら、これほど罪深いことはないと思いませんか??
Rくんにしてもそう。
テストの答案を見て、少し話せば彼がどれくらいの可能性を秘めているかはすぐに分かりました。
ちょっと無茶なペースかな・・・とも思いましたが、たったの20回の講習で、中学の内容と高校1年生の単元全てを理解してくれました。
彼は知的好奇心が強く、新しいことをどんどん知りたい中学生だったのです。
中学生に高校の内容を教えるなんて・・・と思われるかもしれませんが、限界なんて周りが決めてはいけません。
海外には行かずに小学校1年生でTOIEC満点、英検1級を取ってしまうお子さんだっていますし、小学校4年生で大学レベルの幾何代数の問題を解く子だっているんです。
子どもの可能性を伸ばすどころか、杓子定規な枠に当てはめて、大きな可能性をつぶしてしまうなんて、断じてあってはならないことです。
・・・なんてことを言うから塾は学校に嫌われるんですよね!
でも、『うちの授業を受けておけば、塾なんて行く必要はないんです!』・・・という学校の先生がいらっしゃいますが、果たして本当にそうでしょうか??
もちろん、山口が学校の先生でも、まったく同じことを言います。
でもね・・・。
1年、2年と時が過ぎれば、それこそ学年トップを常に取り続けるこもいれば、いつも平均点くらいに落ち着く子、山口のような学年ビリの子といった具合に、間違いなく分かれるのです。
ことそれにいたっても、同じように『いや、それでも学校の授業だけ受けていれば、必ず成績は上がるんです!』と言えるのでしょうか??
例えば山口が学校の先生なら、自分のように学年ビリばかり取り続けている生徒がいたら、三者面談で『○○君は学校の授業だけではついていけないので、どこか塾に通わせてあげてください。』とお願いします。
それが責任というものでしょう??
自身の指導に信念を持つことはもちろん大切ですが、残念ながらそれでも結果が出なかったのであれば、改善策を考えるべきです。
断じて指導する側のプライドで、意固地になって目の前のお子さんを犠牲にしてはいけません。
重ねて申し上げますが、学校の指導を批判したいわけではありません。
ただ、やってもまったく意味のない課題をどうにかするくらいは、できないことではないはずなんです。
先にも申し上げました通り、事実それをやってくれた中学校の先生がいらっしゃったのですから(残念ながら西尾市内の中学校ではありません)。
何度も声を大にして言いますが、子どもたちは本当に無限の可能性を秘めています。
私たちも含めてですが、指導させていただく側は真摯にそこに向き合わなければならないと改めて感じます。
もちろん言うまでもなく中高生諸君、君たち自身が自分の限界を決めつけるのは、それ以上にあってはならないことです。
周りの誰が『そんなの無理だ。』と言ったとしても、君だけは最後の最後まで諦めないでください(ただしもちろん、必ずやり切るという大いなる覚悟を持って!)