100%山口の主観のブログです

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雑談

三日ほど前でしょうか、珍しく授業準備が早めに終わったので、23時くらいに帰宅することができました。

 

まあ授業準備そのものは楽しいのでまったく苦ではないのですが・・・。

 

そこでとりとめもなく観ていた番組で面白そうなものを目にしました。

 

内容としては、【医者に嫁いだお母さんの天国と地獄】みたいなもので、もちろんお医者様の恩恵を受けるので経済的には天国なのですが、その他の面で地獄を見るという二極性が描かれていました。

 

その中でこんなシーンがあります。

お母様が義母に、『息子ですが小中学校くらいは公立でいいですよね~?』と言った瞬間に義母の表情が鬼の形相に変わり、『何を言っているのあなた!公立なんて行かせるわけがないでしょう!』と激昂されるのです。

 

面白おかしく作られていたのでついつい笑ってしまいましたが、実際のところどうなのでしょうか??

 

先にお伝えしておきますが、山口は小学校から高校まですべて公立の生粋の公立人なのです。

しかしながら、私立の素晴らしさを知らずに『公立でいいですよね~』と言ってしまったお母様にも非はあると思います。

 

中高一貫校の私立の環境はとても良いです。

 

ここ愛知は幸いにも公立が非常に強いエリアですが、それでも客観的に見て、個人的には私立の進学校の方が環境はいいと思っています。

 

学習に対する意識と先生の指導力、これらがまったく違います。

 

例えば当塾に通っている私立の塾生の例を見ても、1年以上前倒しして指導が進んでいます。

 

中学2年生の冬くらいには公立中学校の3年間の指導内容が終わっていて、中学校3年生の時点で高校1年の内容が終わり、高校1年生の頃には特進クラスだとセンター試験レベルのことができるようになっていて、高校2年生ではもう国立二次対策をやっています。

 

また指導についても、公立の先生が良く言われるような『うちに通っていれば塾に通う必要なんてありません。』などという無責任なことは言いません。

 

むしろ塾に通うことを勧めており、『全生徒が塾に通っていることを前提に』授業が進んでいきます。

 

もちろん、岡崎高校や刈谷高校などの実績を見ていれば、非常に立派な数字を残していることも分かりますが、これだけ公立高校の実績が強いエリアは愛知をおいて他にありませんし、その岡高や刈高に通っている生徒ですら、ほとんどの生徒が何かしらの塾に通っています。

 

さて、少し話を戻します。

 

公立の学校と私立の学校とではそもそも見ているゴールが違いますし、指導の内容にも大きな違いがあります。

 

私立の中学校・高校(※偏差値が60を超えている学校)では、そもそも入学の時点でふるいにかけているのです。

 

乱暴な言い方をすれば、『高度でスピードも速い指導内容を、きちんと理解できる生徒のみ』に絞っていて、ついていけない生徒は最初から来なくていいというスタンスなのです。

 

この仕組みの是非についてはさておき、それは大学受験でも同じですよね?

 

大学の受験というものは『うちに合格するために一生懸命努力してきて、うちの講義について来れる学生だけを募集します』というものなのです。

 

それが高校や中学校に変わっただけの話なんですね。

 

それでは逆に公立の学校はというと、『成績が良い子も悪い子も、やる気がある子もない子もみんな同じ空間に集めて、全員の6割くらいが理解できる授業カリキュラム』で授業が進んでいきます。

 

もちろん、高校受験ではある程度学力に応じてすみわけがなされると思いますが、それでも私立ほどではありません。

 

さて、これはもちろん過程の話であって、ゴールがみな同じならどんな道を通ってもいいのです。

 

大学受験、例えば旧帝大や早慶上智のような難関大をゴールに見据えたとして、途中はさておきしっかりと高校卒業時に第一志望に合格していればそれでいいということになります(山口は経過主義者ではありますが、この際それは置いておきます)。

 

ゴールまでの道中をのんびりと鈍行の列車に乗っていくのもありですし、飛行機であっという間に現地に着いて、そこでいろいろと旅行の計画を立てるのもよいでしょう。

 

違いは何か?

 

良し悪しはさておき、飛行機で目的地まで飛んでいく場合、途中下車はありません。

鈍行の列車で行ったならば、魅力的な観光地が途中にあれば降りることだってあるかもしれません。

 

のんびりと自分のペースで進むと決めたのであればそれはそれで構わないのですが、それに伴うリスクについては考えなければなりません

 

それが良いか悪いかはさておき、旧帝大や早慶上智、医学部医学科に合格していくような連中は、小学校や中学校の頃から受験の厳しい戦いを経験していて、合格という目標に向かってありとあらゆるものを犠牲にして頑張り続けてきたような人間ばかりなのです。

 

もちろん、それに対して『いやいや子どもの頃は伸び伸び成長すればいいんだよ。』という意見もあるでしょうし、それも正しいと思います。

 

ただ、そうやって死に物狂いで頑張ってきた連中との差はどこかで埋めなければなりませんし、その差が埋まらなければ第一志望を諦めるしかありません。

 

だから私立が良くて公立が悪いと言っているわけではありません。

 

しかしながら時間は絶対に戻ることはないのです。

 

良かれと思って地元の中学校や高校に通って、入学式で『うちに通っていれば塾や予備校には行かなくてもいいんです!』と言われてその通りにしたけども・・・結果高校2年生や3年生になったときに志望校でE判定が出て、偏差値も50に到達しないとなれば、やはりその差を埋めるために何かをしなければなりません。

 

そのために学習塾があるのです。

 

山口が西尾に来て、教育というものに携わらせていただいて10年になりますが、ラストの1年で慌てて駆け込んでくる受験生を何人も見てきました。

中にはせっかく頑張って西尾高校に進んだのに、高校3年生の夏の時点で偏差値が40に届かないというお子様も見てきました。

もちろん、受験までの半年間で偏差値が一気に10も20も上がるなんて話はなく、(この言葉は不適切かもしれませんが)Fランクと呼ばれる大学に行かざるを得ない受験生もいました(※学習習慣がなかった高校生が、ラストの半年間でそれまで一生懸命頑張ってきた受験生に並んで追いつくことは容易ではありません)。

 

こうなると、関関同立やG・MARCH、地元の南愛名中に推薦枠を持っている私立高校に行ってた方がまだ良かったということになります。

場合によっては早慶上智の枠を持っている高校だってあります。

 

そうなると西尾高校だろうが刈谷高校だろうが、それこそ岡崎高校だろうが一通過点に過ぎないということになります。

量で圧倒できる公立高校受験と違い、大学受験対策には質も求められます(もちろん量の大切さについては言うまでもありません)。

 

さて、それでも『いやいやでも塾にも通わず、公立の中学校や高校から東大や早慶上智に合格した子だっているでしょう?』という意見もあるかと思います。

 

そしてそれは事実です。

私自身も過去に何人か見てきました。

 

しかしその対象は極めて小さいです。

その真偽はさておき、有名な某予備校では『東大合格者の4人に1人が〇〇生!』とうたっています。

ここに河合塾などの大手予備校や学習塾が加わっていきますし、いくら塾に通っていないと言っても『開成・灘・麻布』のような御三家を筆頭に、筑駒やラ・サールなどの超進学校も大きなウェイトを占めてくるわけですから、『地元の公立中学校と高校だけで、第一志望に合格』というのがどれほど難しいかが分かります。

 

ちなみに山口には、『塾にはまったく通わず、公立の中学校と高校だけで東大に合格』した友人が2名だけいますが、もう正直言って(いい意味で)普通じゃありません。

 

塾にこそ通ってはいませんが、2人とも共通して勉強が好きで好きで大好きで、中学校の頃には自主的に自学自習で高校の単元を勉強していたような人間です。

 

そんな人、どこの中学校を見てもひとりいるかいないかだと思われます。

 

そんな稀有な例と比較しても何の意味もありません。

 

 

さてさて、年末年始ということで、このブログを見られている方も少ないと思って好き放題書いてしまいました。

好き放題ついでに最後に追加で書かせてください。

 

山口は何も『公立がダメだ!』なんて言いたいわけではないのです。

公立の中学校や高校でももちろん素晴らしい先生はいらっしゃいますし、環境が充実した学校だってたくさんあると思います。

 

しかしながら昨今の教師の不祥事などを鑑みるに、誤解を恐れずに言わせていただけるならば、今現場の教育の質は大きく下がっている可能性があるということです。

 

昔と違い、今は割と簡単に教師になれる時代です。

それこそ偏差値が50を切るような大学からでも、小学校・中学校・高校の教師になれる時代なのです。

 

そしてその現場の本質というのは、私たちには伝わりにくいのです。

地球温暖化問題と同じで、悪い結果というものは多少遅れてやってきます。

 

神戸の先生のいじめ問題なんていい例です。

お決まりの表現になってしまいますが、保護者のみなさんは口を揃えて、いじめの首謀者であった3名を『とてもいい先生だった。』『そんな先生には見えなかった。』と言うのです。

 

良くも悪くも学校の教師は公務員です。

いい先生もいれば、お役所仕事の先生だっていくらでもいます。

しかしながらその真価は本当に分かりにくいものなのです。

 

純粋な子供たちは聖職者である教師は、例外なく素晴らしい人格者だと盲目的に信じることでしょう。

本当に素晴らしい先生で、お子様もやる気に満ち溢れているのであれば、塾に通う必要などありません。

 

しかしその見極めについては、周りの大人がしっかりと判断する必要があります。

大切なお子様の5年後10年後、そして30年後40年後に関わる重大な決断です。

 

高校3年生になって、駆け込み寺のように塾に駆け込んで、結果どこにも間に合わないなどという状況は絶対に避けなければなりません。

 

さて、こんなブログの後ですが、塾生諸君並びに保護者のみな様、この場を借りて言わせていただきます。

『今年も大変お世話になりました。当塾の指導方針に多大なるご理解とご協力、本当にありがとうございました。それではよいお年を・・・。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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