某高校に頭に来ています!(もしこれが本当ならば・・・)
昨日某高校の高校3年生の面談をしていました。
この夏休み、5教科7科目の学習計画を立てていまして、古文の話になったときのこと。
『学校の先生が古文は助動詞なんてやらなくていい、と言っていたんですが・・・。』
・・・え!
本当に!?
本当に日本国の国語の先生で、『古文で助動詞を学習しなくてもいい』なんて言っちゃう先生がいるの!?
にわかには信じられませんでしたが、もし本当に『助動詞を勉強しなくても古文で合格点が取れる』ならこれはもう大事件です。
・・・と思って早速『古文 助動詞 勉強しなくてもよい』でネット検索してみましたが、当然のことながらただの一件たりともヒットしませんでした(山口がウソを言っていると思うのであれば、みなさんもぜひネット検索してみてください)。
あのね~、そりゃあね、古文と言っても日本語ですから、何となくでも読めてはしまいますよ。
でも入試問題作成者が求めるのは、『古き良き日の日本の古典に親しみ、読解しましょう。』なんて文学的なものじゃないんです。
『しっかりと文法を学んで、きちんと読解できますか?』なんです。
例えばその先生は、『助動詞のべしは当然だけ覚えておけばよい。』と言ったのだそうですが、入試で『助動詞のべし』が問われるときに、『当然』の意味を問われることは100%ありません。
例えば『汝、勉強すべし』なんて文章があれば、そりゃあ100人いたら100人が、『あなたは勉強するべきだ。』と訳しますよ。
でも、100人が100人正解するような問題を、入試問題にするわけがないでしょう?
例えばですが、『助動詞のべし』が問題になるとすれば、以下のようなパターンです(一例)。
『家の造りやうは夏を旨とすべし。冬はいかなるところにも住まる。』
全訳はのちほどお伝えするとして、この文章は一見『家の造り方は夏を主とすべきだ。』と『当然の助動詞』と取れなくもないですが、もし選択肢問題で『当然』を選択したら、その瞬間に×です。
この問題は、『夏と冬』という比較対象があり、『比較対象がある場合のべしは、当然ではなく「適当(~するのがよい)」を選ばなければならない』というルールがあるのです。
したがって「家の造り方は夏を主とするのがよい。冬はどんなところにも住むことができる」と訳し、このべしが選択肢問題になっていたら『適当』を選択しなければなりません。
ちなみにこの文章に出てきている『住まる』も超重要なのですが、すっごく長くなるので今回は割愛いたします(※古文必須の塾生諸君にはきちんと説明しますのでご安心を)。
どうでしょうか?
本当に「何となく読めればいいや」の趣味のレベルなら、助動詞なんて勉強せずに、たくさんの古典の文章を読んで慣れてもいいと思います(その方が膨大な時間がかかりそうですが・・・)
しかしみなさんに誤解してほしくないのは、大学受験の古典というものは読解を目的としておらず、しっかりと文法と古文単語を覚えてきて、正確にその知識を使って直読直解できるかどうかを測ることに重きを置いているのです。
『文法を勉強しなくていい』というのはいい加減を通り越して無責任です。
そりゃあ何となく読めてしまうから、あるときは8割取れちゃったりもするでしょう。
でもある時は半分も取れない。
入試というものはたったの一回の試験で結果を出さないといけないのです。
『ある時は8割取れるけど、半分を切ることもある』では困るんです。
その半分以下が入試本番で来たらどうするんですか??
でも『古文の助動詞や助詞、敬語などの文法』に手をつけるのは面倒ですし、そこへ学校の先生が『古文は助動詞なんてやらなくていいぞ!』なんて言われたらそりゃあ受験生は飛びつきますよ。
面倒な荷物が一個減るわけですから(事実、昨日は一瞬山口も飛びつきかけました)。
もうそんなわけで・・・ちょっと愚痴っぽくなっちゃいますが、本当にこの高校には塾生を薦めたくないなと思ってしまいました。
古文で助動詞を勉強しなくていいなんて、英語で言うところの『受動態と時制と助動詞を勉強しなくていいぞ』と言っているのと同じですよ。
もしも本当に『古文で助動詞を勉強しなくていい』と心から思っているのであれば、その根拠をしっかりと受験生に説明すべきです。
でもそもそも日本語というものがすでにかなり難しいんですよ??
例えば『勉強します』という文章があったとします。
これを過去形にすると、当然私たちはみな『勉強しました』と変化させることができる。
『勉強しますた』などとは間違っても答えませんよね??
でも外国人にはこれが理解できない。
そもそも英語では、『助動詞の後は絶対に動詞の原形』という不文律があるわけですが、日本語では『助動詞の接続は変化する』という何とも厄介なルールがあるわけです。
先の『勉強しました』にしても、『勉強します』に過去の助動詞『た』がついて、『します』が連体形の『しまし』に変化したというれっきとした文法のルールがあるのです。
当然私たちは日本に長いこと住んでいて、お父さんもお母さんも、友人も学校の先生も、みなが日本語を話しているから、自然と理解しているのです。
ただし古文と現代文はもちろん違います。
先ほどの『勉強します』は『勉強す』になるでしょうし、ここに過去の助動詞『き』を接続すると、『勉強すき』になる。
だけど、過去の助動詞『き、けり』は動詞の連用形に接続するというルールがあるわけですから、サ行変格活用動詞『す』を連用形『し』に変化させて、『勉強しき』という文章を作らなければならない・・・。
(ちなみに余談ですが、これが同じ過去の助動詞『けり』に接続すると伝聞過去になり『勉強したようだ』という訳になります。さらにこれが和歌中や会話文中で『けり』が用いられると『詠嘆』となり『勉強をしたのだなあ』という訳になります。たったのこれだけでも助動詞を学ぶ価値はあると思うのですがいかがでしょうか?)
とまあこんな風なルールを覚えていかなければならないのですが、それでもたったの28個覚えるだけですよ?
少し前のブログでも書かせていただきましたが、本気で効率よく学習するならば、『センター試験レベルは100時間』『中堅私立レベルなら200時間』『国立文系二次レベルなら400時間』で、国内最難関の問題を出題すると言われている早稲田大学で『500時間』ほどの学習時間で済むのです。
センター試験レベルならたったの100時間ですよ?
夏休み本気でやれば、1日2時間強で終わってしまいますし、1日1時間程度でも3ヵ月強で終わっちゃいます。
そんな大したことではありませんよ。
それでも、『いや、学校の先生が助動詞はやらなくていいって言っていたしな~・・・。』と思うならそれはそれで構わないのですが、決断を下してしまう前に、自分でしっかりと調べてみてください。
ネットでもいいですし、精文館書店に行って古文関連の参考書のはしがきをパラパラと読むだけでいいです。
それで本当に自分が納得できたのならば、それでいいと思います(これは嫌味で言っているわけではないですよ!)
例えば理系の高校生が、『自分はやはり理系科目を得点源にするべきだから、古文は単語だけに留めて60%くらいの正答率でよしとしよう。』と思うのであれば、それはそれで立派な計画だと思います。
ただ、やはりその決断はリスキーではありますので、自分の決断に責任を持って今後の学習に臨んでください。
・・・と長くなってしまいましたが・・・、それでも古文の先生が『助動詞を勉強しなくていい』というのはやはり横暴だと個人的には思いますね。
山口の専門教科は英語ではありますが、そんな自分でも『古文の助動詞が重要である』でことは痛いほど分かります。
むしろ英語をやっているからこそ、日本語の文法の大切さや難しさがよく分かります。
ああ・・・でも本当に・・・、いや、これ以上は愚痴っぽくなってよくないので今日はこの辺で!