知って損することなど何もありません

ここ最近ちょこちょこ『公立と私立について』ブログを書かせていただいていますが、個人的には時間が巻き戻せたとしても、自分はもう一度同じように公立の小学校、中学校、高校を選ぶとは思います。

そもそも私立の学校そのものが存在しなかったというのもありますが、今進んできた道に満足してますし、毎日毎日海で泳ぐのが楽しくて仕方なかったですからね!

もう最高です。

そりゃあ勉強よりも、『遊ぶ』を取りたいです。

ただし飽くまでもそれは山口個人の話です。

長期的にみれば、頑張って難関中高一貫私立を目指した方がいいとは客観的に思います。

【では難関中高一貫私立のデメリットとは何なのか??】

ネットで【中高一貫私立 デメリット】などで検索すると、必ずこのように出てきます。

『中高一貫私立は多様性がない』『みなが一つの目標に向いているので、色んな考えの人間に出会うことができない』

なるほど。

ただ最初にお伝えさえていただくならば、飽くまでも山口の経験上の話ですが、中高一貫私立に通い、難関大を卒業した人で、多様性がない、社交的でない人など会ったことがありません。

もちろん世の中にはそういう人もいるかもしれませんが、『公立に通っていた人が社交的な人が多く、私立に通っていた人の方が社交的でない』などと感じたことは一度もありません。

難関中高一貫私立を否定する人というのは、おおむねこういった感じだと思います。

さて、何度も申し上げますが、山口個人は公立派なのですが、判を押したようなこの意見は真っ向から否定します。

『その多様性、必要ですか??』と言いたいのです。

自分の体験談になってしまい恐縮ですが、自分の高校は一応進学校だったので、学年の8割が大学進学、残り2割が短大、就職といった感じでした。

ただ中学校の方はと言いますと、1割が大学進学、残りは地元に残って就職組でした。

先に申し上げておくと、地元に残って就職することは素晴らしいことです。

むしろ山口みたいに、地元を捨ててこうして縁もゆかりもなかったはずの土地に落ち着くのは、地元民からしたらあまり喜ばしいことではないと思います。

しかしながら、地元に残ったメンバーですが、みんなある種の連帯感みたいなものを持っていて、あるものは地元の役所に、あるものは漁師に、あるものは家業を継いで、みんな青年団に入って毎年毎年楽しそうに宴会をやっているのです。

何度も言いますが、それを悪いとは思わないですし、むしろ楽しそうだなとも思います。

でも今でもはっきりと断言しますが、正直自分はそうはなりたくないです。

ただ、まったく勉強ができなかった中学2年生の頃、きっかけは不純なもので、(新しいゲームが欲しい!)という理由で勉強を頑張り始めたわけですが、もしあの時そう思わなければ、自分も同じように地元に残って就職していたのだと思います。

『勉強なんてやらなくてもいいと思っている連中がいる』『大学に進もうとする仲間をバカにする人もいる』『不良もいる』、その環境のことを『多様性がある』などと言えるでしょうか??

(そして恐ろしいことに、この事実はリアルタイムで学校に通っているお子さんにしか把握できません。実際のところ、保護者様には、お子さんがどんな子と仲良くて、どのような影響を受けているのかを100%把握することは難しいのです。)

事実その中学校では、なぜか小学校の頃から東大を目指していた針本君などは完全に浮いていました。

いや、浮いていたというより、本当に話も思考も合わないと言った感じでしたし、針本君自身もそんなことはまったく意に介していない様子でした。

『新しいゲームが欲しか!』という理由とはいえ、中学校3年生になって針本君に近づいていった自分を見て、当時よく遊んでいた同級生は勉強を頑張る自分を冷やかしさえしました。

本当に何度も言いますが、自分は今でも公立派ではありますが、将来のことを考えるならばこの環境がいいとは思えませんし、もちろん『多様性がある』などとは思えません。

そんな多様性はいらないです。

それは大学に通うようになって、アルバイトをしたり他校のご学友と交流を深めて、(ふ~ん、こんな人もいるんだ)くらいで充分です。

事実、企業が重宝する大学ランキングの1位と2位は毎年変わらず『慶應と早稲田』です(※『プレジデント』より)。

理由は、『社交的な能力に長けていて、状況判断に優れているから』とのこと。

そういうわけで人それぞれ意見はあると思いますが、『多様性がある』というのが公立のメリットであるとは正直思えません。

【知っていて損はないということ】

なんだなんだ?じゃあ結局私立の方がいいってことなの??と思われるかもしれませんが、そう言いたいわけではありません。

愛知と言えば全国でも屈指の公立王国ですので。

ただ、そんなものすごい私立に通う連中がいて、彼らがどんな勉強をしているのかを知っておいて損はないと思うのです。

比較したりして自己評価を下げる必要はまったくありませんが、小学校の頃から大学受験を意識して、バリバリ勉強を頑張っている連中とどうやって戦うのか考えることは、一考の価値があるはずです。

知らずに中学校に進んで高校に進んで…、本当は難関大学にだって合格する可能性があったかもしれないのに、『知らなかった』という理由で貴重な中学、高校の6年間を過ごして、30代40代になってから(あぁ…もしかしたら中高一貫私立に進んでいたら、今頃難関大を卒業して、違う道もあったのかな??)なんて後悔することほどつらいことはありません。

大概のことはその時々の努力でリカバーできますが、時間だけは戻すことはできません。

そしてそればかりは、お子さんが自ら知る機会はゼロに等しいです。

もちろん押し付けることはよくありませんが、『こんな世界もあるんだよ??』と教えることは、大人にしかできないことです。

『子どもの自主性に任せる』と言えば聞こえはいいですが、社会経験というものをまったく積んでいない小学生、中学生、高校生の自主性に、何をどうやって任せるのでしょうか?

だから私たちも含めて、大人は子どもにいろいろな可能性や選択肢を伝える義務があります。

その上で、その先の道はお子さん本人が判断したらいいと思います

そしてそれを知った上で、公立高校に通いながら大学受験を目指すと決めたのであれば、中高一貫私立に通う彼らとの差を埋めるためにはどうすればいいのかを考えて行動に移さなければなりません。

どれだけ公立高校の先生が、『うちの授業さえ受けていれば、どの大学でも受かります!』と声高に叫んでも、中学校の頃には高校の内容もすべて学び終えて、高校に入ってからは東大京大早慶の対策しかとらないような環境と同じなわけがありません。

結局のところ、すべてのお子さんに同じように可能性があったはずなのに、知らないままに時間が過ぎてしまい、高校2年生3年生になってからは、かなり可能性が絞られてしまうというのが現実です。

もちろん、難関大に合格することや学歴がすべてではありませんし、トヨタの副社長のように、中卒で現場のたたき上げで執行役員まで上り詰めるような人もいます。

しかし、それこそ東大に合格する確率(0.6%)よりもはるかに低いです。

毎年受験生500人中3人は東大に合格するのですから。

これが旧七帝大まで広げると、合計約18,000人、なんと500人に18人は旧七帝大に合格することになります。

さらに早稲田、慶應まで加えると・・・、と皮算用はこの辺にしておいて、実は難関大に合格することよりも、学歴なしでキャリアを積み上げることの方がはるかに大変です。

ちょっと話がそれてしまいましたが、そんなわけで、小学生・中学生・高校生のみなさんには無限の可能性があるということを知っていただけたら幸いです。

そして、公立から難関大を目指すのであれば、そこにもまたたくさんの選択肢があるのだということを知っていただけたら嬉しいです。