英会話は受験英語には百害あって一利なし①(※5分、ぜひ保護者様にもお読みいただきたいです)

よく『日本人がこんなに英語を勉強しているのに、国際社会の舞台でまったく英語を話せないのは、受験英語のせいだ!』などという声をよく耳にします。

その通りですね。

御説ごもっともだと思います。

しかしながらその逆も然り、『英会話をどれだけやっても、受験英語はできるようにはならない。』これもまた真実です。

むしろ、『早期から英会話を頑張っているから、英語は得意な方である』と勘違いをしてしまうくらいなら、やらない方がまだましです。

もちろん、英会話には英会話のメリットがあります。

『ネイティブの発音に触れることができる』

『外国人と話すときに物怖じしなくなる』

『ごくごく簡単な内容であれば、コミュニケーションができる』

これは大きなメリットだと思います。

しかし、受験英語と英会話はまったく別の物なのです。

【日本人は全員が日本語に堪能だが、全員が現代文で満点を取っているわけではない】

よほどのことがない限り、日本人は全員が日本語に堪能です。

当然ですね。

しかしながら、全員が現代文が得意というわけではない・・・どころか、むしろニガテな中高生の方が多いように見受けられます。

次の文章は某大学の現代文の文章です。

我々は日本人なので、もちろん文字を情報として読み取ることはできますが、100%完璧に理解できるでしょうか?

『通常の認識活動の根底には、無根拠が根拠となるメカニズムがいくつも潜んでいる。科学の営みを可能にする基礎概念は、扉の「蝶番」のようなものだという。例えば、十九世紀までの物理学で光を伝える媒体として想定されていた「エーテル」のような概念は、当時の研究者が研究課題を組み立てるための大前提だったが、それ自体の根拠は与えられず、問いの対象となることさえなかった。無根拠の確実性にもとづいてはじめて成立するという点で、科学よりも基本的な経験である知覚も分からない。』(貫成人『哲学で何をするのか』より抜粋)

ね?

私たちはもちろん日常において、何不自由なく日本語を使い、伝え理解していますが、この難文を読んで理解し、さらに難問に答えるとなれば、これはもうまったくの別次元の話になってしまうのです。

日本語でできないことが、英語でできるわけがありません。

日本語を100%理解していても現代文で満点が取れないのと同じで、たかだか英会話ができたくらいで受験英語で合格点を取ることは難しい・・・というよりも、現実的に無理なのです。

事実、英会話を幼少期から頑張っていて、学校や模試の英語の点数がいい中高生にほとんど会ったことがありません。

【〇天などの企業が、社内公用語を英語にしておりますが・・・】

これ、何の意味があるんでしょうね?

だって日本ですよ??

これがシリコンバレーの超大規模な会社で、たくさんの人種が入り混じって、やむなく意思疎通を円滑にするために、『みなさん、言語を英語に統一しましょう!』ならわかるんですけど、日本にいる限り、別に英語を話せる必要なんて欠片もない・・・どころか、本当に必要な情報を伝えられないと思うんですよね。

(あぁ・・・伝えたいことがあるんだけど、英語ニガテだし、自分にできる表現で伝えちゃえ!)

普通に考えたらこうです。

英語講師の山口がこんなこと言うのもなんですが、日本にいる限り、英語なんて話せなくても全然生きていけます。

ただね?

なぜだかよくわからないんですが、日本の企業はものすごく『TOEICだの英検だのをありがたがってくれる』ので、山口は頑張って取得しました。

事実めちゃくちゃ助かってます。

最強の資格なのではないでしょうか?

でも実際のところ、まったく使いませんね。

最近使った英語と言えば、旅先で困っている外国人に、”Do you wanna me to take your picture?”と声をかけたくらいです。

話を戻しまして。

そして受験で求められているのは、コミュニケーションとしての英語ではありません。

ただひたすら英単語とイディオム、英作文を暗記し、英文法を100%にして、大学が用意する超難文を読解し、英作文を書くだけです。

その証拠に、ほとんどの大学では試験でリスニングもスピーキングも課していません。

そんな能力求めてないんです。

『英会話は君が頑張りたければそれはご自由にどうぞ。でも受験のための英語はしっかりと勉強してきてね。』としか言ってないんです。

むしろ、英語だけができる帰国子女なんて門前払いです。

こればかりは、どれだけみなさんが声高に、『日本の受験英語は間違っている!』『受験英語ではコミュニケーション能力は向上しない!』と叫んだところで何の意味もありません。

(後半に続く)