京大オープン『ドッキングB判定』出ました!(※その2)


(※ただの自慢です。山口が取ったわけでもないのに自慢というのもおかしな話ですが・・・)
以下、あまりまとまりのない文章になってしまうかもしれませんが、この1年弱、彼が具体的にどういう努力を積み上げてきたのか、全力でお話させていただきます。
【とっても嬉しい誤算】
当塾は入塾の時期に具体的な制限があるのですが、刈谷高校や岡崎高校の場合は『高校2年生の12月まで』となっております。
理由は明確で、『難関大を目指していく上で、ギリギリのタイムリミットがそこ』というだけです。
今でも覚えておりますが、彼のお父様から『西尾に面白い塾があるから早く体験授業に行こう!』と言っていただけたのが昨年の秋口。
その当時の山口は彼の体験授業を終えて、『大丈夫です。今からなら間に合うと思います(キリッ!)』とお答えしたのですが・・・。
英語に関しては間に合うどころか、山口の想定した予定よりも半年近く早く終わってしまったのです。
え!
もうやることないよ、本当に!・・・と嬉しい悲鳴を上げたのですが、もちろんやりますよ!
そんなこんなで、今は日本で一番難しい英文を出すと言われている京都大学よりも、はるかに難易度の高い英文に取り組んでいます。
(そんな大学受験に出ないような難しいことやる必要あるの??)と思われるかもしれませんが、やらなければなりません。
【多くの受験生や保護者様が誤解していること】
山口の下手な手書きのグラフですみません。
全員とは言いませんが多くの高校生(※特に公立中学校を卒業し、公立中学校に進学した高校生)が次のように勘違いしています。

青い線は『学習量や難易度』、赤い線は『偏差値そのもの』を表しています。
1年生・・・公立高校入試が終わったばかりだし、基礎固めの段階
2年生・・・少しずつ勉強の量を増やしていく
3年生・・・部活も終わり、最後の1年だから学習の質も量も上げていく
それに伴い、偏差値も右肩上がりで上がっていく
・・・とまあこういう皮算用を作り上げてしまうわけです。
もちろん、そうなればベストです。
しかしです。
超がつくような難関大に合格していく受験生は、ほとんどが難関中高一貫私立に通っている高校生です。
彼らは小学校4~5年生の頃から、『何年もかけて超難関大に合格するための対策を取ってきた受験生』なのです。
まず難関大合格の席は彼らが埋めていきます。
そして残った席を、私たち公立高校に通っている高校生が取り合っていくのです。
しかも、私たち愛知県に住んでいる中高生は、『公立高校入試オールマーク』という最悪のシステムによって、徹底的に記述力を奪われているのです。
後に紹介しますが、京都大学の英語の解答ってこんな感じです。

マークを塗りつぶすだけの問題なんて1問もありません。
日本語も英語もすべて記述。
そして難関大ほどその傾向が強くなります。
さらに、昨日のブログでも触れましたが、超がつく難関大学は共通テスト、つまりマークの試験なんて何とも思っちゃいないんです。

共通テストで1000点満点とっても、『225点まで圧縮されてしまう』のです。
共通テストでA判定を叩き出してくれた彼には申し訳ありませんが、自分は共通テストの結果なんて毛ほども重要だとは思っていません(ハゲているだけに・・・)
そこよりも、赤枠の『二次試験(800点満点)』、つまり記述こそが重要なのです。
公立中学校で3年間、徹底して書く力を奪われてしまった高校生のみなさんが、果たしてこのような絵に描いた餅を実現することができるのでしょうか?

できないですよ、絶対に。
そうして高校3年生の夏くらいに、なかなか偏差値も上がらない、志望校判定もDやEしか出ないとなって焦り出すんです。
その時に残されている期間はわずか半年。
たったの半年で難関大が要求する記述力が身につくわけがありません。
だから公立高校から難関大を目指すみなさんは、こんな感じで学習する必要があるんです。

同じく、『青い線は学習の量と強度』、赤い線は『偏差値』を表しています。
多くの受験生は『偏差値は右肩上がりに徐々に上がっていくもの』と考えていますが(もちろん、そうなることもありますが)、基本そうはなりません。
そこには色々な要素があります。
①偏差値は自分の努力ではなく、周りの努力と得点によって決まる
②間違った学習法で量を積み上げても、間違った知識が積みあがるだけ
③難関大を狙っている中高一貫組は、高1の時点で完成されているため、あとから徐々に追い上げるのはかなり難しい
一応こんなところでしょうか?
①については言うまでもありませんが、仮に君の得点が30点だったとしても、周りの平均点が20点くらいなら、君の偏差値は60くらいで出るかもしれません。
しかしながらその逆に、仮に君が80点を取ったとしても、周囲の平均点が90点なら、君の偏差値は45くらいで出るかもしれません。
そう、偏差値は君の努力ではなく、『周りの努力で決まる』のです。
高2の冬くらいまでサボりまくって、『さあ、そろそろ受験に向けて本腰入れて頑張るぞ!』なんて思っていても、その頃には上位陣の受験対策は完成しています。
そして、さすがに勉強していなかった連中もそれなりに勉強し始めるため、彼らと同程度の努力では偏差値は現状維持、むしろ下がります。
そうして高校3年生になると、今度は浪人生が加わってくるのです。
だから偏差値は右肩上がりにあげるのではなく、『高1の4月から高2の秋くらいまでに限界まで上げておき、あとは少しくらい下がっても大丈夫な状態』を作らなければなりません。
②もあえて言うほどのことではありません。
英語をニガテにしている多くの受験生が、なぜか口をそろえて『多読や速読』の話をします。
しかしよく考えてください。
文法も単語も分からない。
文構造も分かっていない。
それどころか品詞一つもろくに理解していない。
その状態でなんぼ速読・多読を積み上げても『間違った訳がひたすら積みあがっていくだけ』です。
ここ最近、今回紹介した彼と一緒に取り組んだ英文で(これはそうとうきつい)と思った文章があるのですが、みなさんはこれを速読で何とかできるのでしょうか?
【1】① It might be possible that in order to understand and appreciate the value of Diogenes as a philosopher, one may have to be a Cynic oneself or at least have certain Cynic tendencies. ②How can someone whose psychological predispositions and whose upbringing incline him to blindly accept all social norms and to deify the Establishment and the status quo, and who, as in the case of patriotic enthusiasts and religious zealots, cannot find fulfillment in life except as part of a group, discover any value in a man like Diogenes, who, partly on account of his character and the circumstances of his life, and partly because of certain philosophical influences, felt compelled to wage a relentless war against the human world that surrounded him, and found his fulfillment only in the shelter of his self-proclaimed independence?
【1】①ディオゲネスの哲学者としての価値を理解し、正しく評価するには自分自身もキュニコス派になるか、あるいは少なくとも、キュニコス派に共感できるような気質を持ち合わせていなければならないと言えるだろう。②持って生まれた性格や育った環境からあらゆる社会の規範を盲目的に受け入れ、体制や現状を神格化したいと考えるような人、熱狂的な国砕主義者や狂信的な信者のように集団に属することでしか人生におけるやりがいを得ることができない人が、どうやってディオゲネスのような人間に少しでも価値を見出すことができるのだろうか?(いや、できないだろう)。ディオゲネスはひとつには彼自身の人格や生きた環境から、またひとつには他の哲学者に影響されて、自らを取り囲む人間の世界に絶えず容赦のない戦争をしかけずにはいられなかったのであり、自身の主張した『独立』の殻の中でしか満足を得られなかったのだから(※北村一真先生訳)。
これはきつい。
相当にきついはずです。
英語の偏差値が80を超えるような受験生でもかなり厳しい。
この和訳を見れば分かる通り、『英語だけができる帰国子女』ではこの日本語文を生み出すことはできないと思います。
つまり、京都大学は英語力については言うまでもなく、『母語である日本語も当たり前に練習してきてね』と言っているのです。
昨今の中高生のように、『漢字で書かない・・・というよりも書こうとすらしない受験生』は全員門前払いです。
ちなみに京都大学を受験した受験生の手記をチラッとしょうかいさせていただきます。

『機械的に英語を日本語に置き換えるだけの一対一の訳出ではなく、自然な日本語としての訳出を求める。』
これは京都大学の英語の基準ですが、もちろんその他難関国公立を志望する受験生にも同じように求められる姿勢だと言えます。
【入塾以来彼が頑張ってきたこと】
もちろん、自分の目から見ても彼は相当すごいですし、英語に関して言えば、今京都大学を受験しても合格点を大幅に超えます。
冠模試が辛めであることを考慮すれば、恐らく本番は『105~115点くらは取れる』と見込んでいます。
そんな彼が積み上げてきたものは、何も特別なものではありません。
授業の内容こそ桁違いに跳ね上がってしまいましたが、それはごく最近の話。
少し前までは他の塾生のみなさんと同じような課題に取り組んでいましたし、毎週の宿題に至っては全く同じです。
①LEAPを200~400語
②英作文(毎週5文のみ)
③英文法入試演習(20~40分で解き終わるもの)
④文法正誤問題
★⑤京大用英作文
みなさんに出している課題と異なるのは、最後の京大用英作文だけです。
それ以外は全く同じですし、特別量が多いわけでもありません。
むしろ最近では量を減らしました(※これからは英語以外の教科にも力を入れていく必要がありますので)。
そう、最初からきちんと負荷をかけていれば、この土壇場で学習量を減らすこともできるんです(※とはいっても、山口が課題の量を減らしたところで、彼が自分の学習量を減らすことはありませんが。)
彼が他の受験生と違う点があるとすれば、『授業が終わった直後、すぐに英語の課題に取り組んでいること』『よほどのことがない限り、課題は100%でやりきっていること』、この2点です。
当り前の話ですが、中学生がやるような『問題解きっぱなしで、〇✖だけ付けて終わり』みたいな課題の取り組み方では何の成果も得られません。
時間がもったいないことを考えると、やらない方がマシなくらいです。
やるんなら全力で取り組んで、知識の抜け漏れがあったのであれば山口に質問する、質問するほどのものでなければ、その知識をメモしておいて、隙間時間にチェックする。
それをコツコツと半年~1年も続ければ、大学受験程度の英語なら完成するはずです。
しかしながらしつこいようですが、その凡事徹底こそが難しい。
彼の場合、その『誰でもできること』を徹底する力が飛び抜けているんです。
人間、『もう理解できたぞ!』と思った時、テストの結果が良かった時などは気が緩みがちです。
実はそういう時こそ油断大敵なのですが、彼は結果の良し悪しに左右されず、いついかなる時も同じことを続ける力が強いのです。
だから塾生のみなさん、信じてください。
みなさんに出している課題も、京大ドッキングB判定(※ちなみに英語はA判定)を出している彼の課題も、まったく同じなんです。
西〇校長先生が『同じ課題を出しても意味がない』と言っていましたがそんなことはありません。

だって山口が出している課題、ちゃんと山口の授業を受けている高校生のみなさんなら、誰でもできる簡単な課題のはずです(※というか、基本ほとんど暗記のはず)。
【久しぶりに異常な長さのブログとなってしまいましたが・・・】
ちょっと気合が入り過ぎてしまいました。
最後まで読んでくださったみなさん、本当にありがとうございました。
返す返すも、お父様に当塾のブログを発見していただいて、うちは本当にラッキーだったと思います。
うちなんて何の宣伝広告もしていませんし、大手学習塾と比べれば、知名度はゼロに近いはず。
それでいて西尾市外にお住まいでしたので、当塾を選ぶのは相当な勇気が必要だったはずです(※去年一橋に合格した卒塾生も同じような条件でした)。
いつもいつも思うことですが、当塾のようなちょっと変わった学習塾を見つけていただいて、そして教育方針にご理解・ご協力いただいて本当にありがとうございます。
なお、今回ご紹介させていただきました彼に限らず、全塾生に思っていることですが、山口は『第一志望にぶっちぎりで合格してほしい』と願っています。
1番で合格するのも、ビリで合格するのも同じ合格です。
ですが私としては、ただ難関大に合格するのではなく、この貴重な青春時代に膨大な努力と研鑽を積み上げて、大きな世界に飛び出していってほしいのです。
目標を難関大合格にしてほしくはありません。
それは当たり前に合格してほしいです。
そしてたまに『青春時代をそんな勉強ばかりに費やしてかわいそう』という声を耳にしますが、そう思う人はそう思っておけばいいです。
私個人の意見ですが、みなさんの青春は社会に飛び出してからです。
中学高校時代を遊び惚けるのも青春かもしれませんが、そこで何も積み上げずに社会に出てしまったら、無力な君を誰も必要とはしてくれません。
中学、高校と一番伸び盛りの時期に、全力で勉強を頑張った受験生は本当に強いです。
どこに行っても頑張れますし活躍できますので。
好きなことは社会人になってからでも存分に楽しめます。
いや、むしろその方が楽しめます。
貴重な中学、高校時代を西尾駅や商業施設で屯して過ごした若者は、残念ながら社会に出ても必要とされる機会は相当少ないはずです。
雇う側からしても、社会全体からしても、そんな人材は求めていませんし、高いお給料を払う理由が見当たらないからです。
私は勉強を頑張ることは、人生全体を通じての青春を謳歌することだと考えています。
・・・といっても、うちの塾生は勉強も部活も全力で頑張ってますけどね!