『医学を選んだ君に問う』(※本当に雑談です)

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少しブログが滞っていました。

 

実はここ数日、少しの時間教室にいない日々が続いたのですが、実は体調を崩して病院通いしていました。

 

毎日10kmランニングしたり、食事にも気を付けて健康管理は徹底しているのに・・・。

歳は取りたくないな~と痛感しました。

 

それで色々ありまして藤田保健衛生大学に行ったのですが・・・。

大学病院てすごいんですね。

いや、病院というものにほとんど行ったことがなかったので、本当に新鮮でした。

 

 

さて、そんな山口の通院の話なんてしてもおもしろくもなんともないので、少しだけ勉強に関わる話をしたいと思います。

 

医学部というと、みなさん最難関であるというイメージが強いのではないでしょうか??

事実、国内の医学部で最も偏差値が低いと言われている川崎医科大学ですら、慶應大学の理工学部と同じなので、少なくともこれから医者になろうとする諸君は、慶應大学に入るくらいの学力を持っていなければならないことになります。

 

大変ですね・・・。

 

でも実をいうと、つい最近まではそんなことはなかったんです。

言い方は悪いですが、『お金さえ払えば誰でも入学できる大学』はたくさんあったのです。

 

ここでその詳細を紹介するのは少し気がひけますので、興味がある方は調べてみてください。

『医学部 昔の偏差値』とかで検索するとすぐにヒットします(信じられないかもしれませんが、偏差値40という医学部も存在したのです)。

 

まあもちろん、お医者さんになるには国家試験というものがありますので、事はそんなに簡単ではないのですが、少なくとも入試だけに限って言えば、昔と今ではまったく違うというのは事実ですね。

 

 

そこで何ですが、みなさんがもし大きな病気にかかってしまったとき、医者になるためにとてつもない努力と犠牲を払ったドクターと、そうでないドクターならどちらに診てほしいですか??

 

もちろん言うまでもなく、前者だと思います。

 

だから今、こうして医学部の難易度が劇的に上がったことは、将来の医療や高齢化社会にとってはすごく良いことだと思うんですね。

人の命と健康に関わる聖職なんです。

誰でもなれるような職業であっては困りますよね。

 

当塾にも医学部を目指している塾生が2名いますが、ぜひぜひ身を粉にして勉学に励み、狭き門を突破して素晴らしいお医者様になってほしいと思います(そして20年後30年後には、ぜひ山口のかかりつけのドクターになってほしいです)。

 

1名はよく当ブログでも登場する、『東大A判定を叩き出した高校2年生』なのですが、彼の日頃の学習に対する姿勢をみるなら、大学に合格する云々の話はさておき、きっと素晴らしいお医者様になるだろうと確信できますね。

 

もう1名の塾生はまだ中学生なのですが、まあ今のまま順調に進んでいけば、医学部合格は充分可能かなと思います。

成績に関して言えば申し分ないのですが、今の段階では他にも気になっている職業がありそうなので、存分に悩んでほしいなと思いつつ見守っています。

 

今回あらためて思いましたが、自分の体は一つしかなく、それを預けるとなると、本当に信頼できる方じゃないと不安で不安でしょうがないです・・・。

 

 

だからぜひ!

該当塾生2名は絶対に医学部に合格していただき、ぜひぜひ西尾に戻ってきてほしいと思います!(今のところ2人とも県外希望なので・・・)

 

さて最後の最後に、このブログのタイトルとなっています『医学を選んだ君に問う』を紹介させていただきます。

 

【医師を目指す君にまず問う。高校時代にどの教科が好きだったか?物理学に魅せられたかもしれない。しかし医学が大好きだったことはあり得ない。日本国中で医学を教える高校はないからだ。
高校時代に物理学または英語が大好きだったら、なぜ理学部物理学科や文学部英文学科に進学しなかったのか?物理学に魅せられたのなら、物理学科での授業は面白いに違いない。
君自身が医学を好むか嫌いかを度外視して、医学を専攻した事実を受容せねばならない。結論を急ぐ。授業が面白くないと言って、授業をサボることは許されない。医学が君にとって面白いか否か全く分からないのに、別の理由(動機)で医学を選んだのは君自身の責任である。
次に君に問う。人前で堂々と医学を選んだ理由を言えるか?万一「将来、経済的に社会的に恵まれそう」以外の本音の理由が想起できないなら、君はダンテの「神曲」を読破せねばならない。それが出来ないなら早々に転学すべきである。
さらに問う。奉仕と犠牲の精神はあるか?医師の仕事はテレビドラマのような格好のいいものではない。重症患者のために連夜の泊まりこみ、急患のため休日の予定の突然お取り消しなど日常茶飯事だ。死にいたる病に泣く患者の心に君は添えるか?
君に強く求める。医師の知識不足は許されない。知識不足のまま医師になると、罪のない患者を死なす。知らない病名の診断は不可能だ。知らない治療を出来るはずがない。そして自責の念がないままに「あらゆる手を尽くしましたが、残念でした」と言って恥じない。
こんな医師になりたくないなら、「よく学び、よく遊び」は許されない。医学生は「よく学び、よく学び」しかないと覚悟せねばならない
医師国家試験の不合格者はどの医学校にもいる。全員が合格してもおかしくない医師国家試験に1,2割が落ちるのは、医師という職業の重い責任の認識の欠落による。君自身や君の最愛の人が重病に陥った時に、勉強不足の医師にその命を任せられるか?医師には知らざるは許されない。医師になることは、身震いするほど怖いことだ。
最後に君に願う。医師の歓びは二つある。その1は自分の医療によって健康を回復した患者の歓びがすなわち医師の歓びである。その2は世のため人のために役立つ医学的発見の歓びである。
今後君が懸命に心技の修養に努め、仏のごとき慈悲心と神のごとき技を兼備する立派な医師に成長したとしよう。君の神業の恩恵を受けうる患者は何人に達するか?1人の診療に10分の時間を掛けるとしよう。1日10時間、1年300日、一生50年間働くとすれば延べ90万人の患者を診られる。多いと思うかもしれない。だが日本の人口の1%未満、世界の人口の中では無視し得るほど少ない。
インスリン発見前には糖尿病昏睡の患者を前にして医師たちは為すすべがなかった。しかしバンチングとベストがインスリンを発見して以来、インスリンは彼らが見たこともない世界中の何億人もの糖尿病患者を救い,今後も救い続ける。
その1の歓びは医師として当然の心構えである。これのみで満足せず、その2の歓びもぜひ体験したいという強い意志を培って欲しい。心の真の平安をもたらすのは、富でも名声でも地位でもなく、人のため世のために役立つ何事かを成し遂げたと思える時なのだ。】

(朝日新聞より抜粋。前金沢大学医学部附属病院長 河崎一夫先生

 

 

 

 

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