成績優秀者発表!(追伸:M川君おめでとう!※イニシャルは変えてあります)
と、いうわけで、先日ご紹介が中途半端になってしまった成績優秀者発表から!
今回はご紹介したい中高生がたくさんいますので、少しずつブログの方でアップさせていただきたいと思っています。
まずはこちらの中学2年生の塾生から!
見ての通り、元々いい成績だったんですけどね。
普段は学生講師の板倉先生が数学を担当しております。
見ての通り、数学は右肩上がりですね。
で、夏期講習で山口が英語を担当させていただいたのですが、英語が・・・。
下がってるやーん!とみなさまのツッコミを頂戴しそうですが、ご心配なく。
彼はしっかりと自分のミスをその場で修正しておりますし、同じミスは繰り返しません。
そしてもう一つ、先日のブログでもご紹介しました通り、英語に関して言えば彼はもうすでに高校1年生の単元に進んでいます。
ですからこの先、ちょっとのミスで失点することはあるかもしれませんが、おそらく90点を下回ることはありません。
もうすでに「現在完了形」「関係代名詞」「分詞の後置修飾」など、中学生が躓きそうな単元は全て終わっていますので、これからは学校の授業は全て復習になっていきます。
冬期講習も受講していただいていますので、山口プランでは「仮定法」と頑張って「分詞構文」まで進めていこうと目論んでおります(これは前回も話しましたね)。
そうすると何が起こるのかというと、2年後3年後が圧倒的に楽になるのです。
次回のブログでは、刈谷高校の1年生を紹介させていただこうと考えているのですが、その時に詳細をお話させていただきます。
かいつまんでお話させていただくと、今紹介させていただいた中学生の男の子、中学3年生には英検2級、高校1年生の間は準備期間として、高校2年生で準1級を取ってもらい、大学受験シーズンには英語なんてまったくやらなくてもよい、という状況を作ろうと考えています。
岡高、刈高、西高、東高に合格することを目的としてはいけません。
そこはスタート地点でしかないのです。
特に岡高や刈高は、毎年センター試験の学年の平均点が『700点』を超えるようなハイレベルさで、当然授業のレベルもものすごく高いです。
ついていけない生徒が出てもおかまいなしです。
次回ご紹介させていただきます刈高生の塾生のお話で詳細を話しますが、刈高だろうが西高だろうが、学校の授業に先んじるくらいの環境を作っておかないと、あっという間に置いて行かれてしまいます。
そうなると、『推薦に強い私立の高校に進んでおけばよかった・・・。』ということにもなりかねません。
実際のところ、愛知県の私立高校はものすごく強い推薦枠を持っている高校が多いですから。
もちろん目の前の受験は大切なのですが、高校合格はゴールではありません。
2年後、3年後までを見据えて、計画的に学習を進めていきましょう。
さて!
話は打って変わって、昨日は元同僚のM川君の結婚式でした!
※本人の確認をいただいていないので、写真はこれだけで(笑)
いや~実のところ、ご列席の皆様の顔ぶれがものすごくて、行くまでにものすごい緊張感でした(笑)
山口が以前勤務していたところは、聞けば日本全国で知らない人は誰もいないというくらいの業界最大手でして、そこのお偉いさんから元同僚までオールスター勢ぞろいということで、きっと山口は針の筵になってしまうのかな~、なんて思っていたのですが・・・。
みなさんフレンドリーに話しかけてくれて、本当に嬉しかったです。
あ、ちょっと話が反れましたので本題に。
もう結婚式冒頭から涙が出るくらい感動しっぱなしだったのですが、クライマックスは新郎新婦のご両親が並んで、新郎新婦が感謝の言葉を伝える時。
もうですね・・・たったの数時間しかその場に居合わせていないのに、ご両家のご両親が並々ならぬ愛情を注いできたんだなというのが痛いほど伝わってきました。
やはり親の愛というものは無償で、何にも代えられないものなのだなと実感しました。
これは中高生諸君のみなさんのご両親も同じ。
もしかしたら(おやじはがみがみうるさいな~)とか(うちの母さんはうっとうしいな~)なんて思っているかもしれませんし、実際に親のガミガミというものはプラスに作用することはほとんどありません。
でもそれもこれも、君たちのことを思えばこそ。
世の中のお父さんお母さんは、何とかして5年後10年後、20年後30年後に君たちが困らないように、幸せになるようにと願って日々悪戦苦闘しています。
そのことを心の片隅のどこかに、砂塵ほどでもいいので残して、感謝しながら部活に勉強などの中学生活や高校生活を謳歌してほしいです。
みなさんが当たり前だと思っていることは、全然当たり前じゃないのですから。
ちなみに山口ですが、前職を辞めることになった理由の一つに、両親の事情がありました。
そんな老け込む年齢でもないのに、父親が突然認知症になってしまったのです。
母親というものは強いもので、それでも『大丈夫だから帰ってくるな。』と言い続けていました。
山口の実家というのが九州の隅っこの、本当に田舎の方でしたので・・・。
とはいっても、認知症の父親を、母親1人に任せっきりになんてできないと思ってましたが、実際のところそんな田舎に帰ってみたところで、自分ができることなんて何もなかったんですね。
とにかくできる仕事がないので。
仕事そのものがないのです。
そうして途方に暮れているときに、都築先生に声をかけていただき今に至るのですが、改めてその基盤を一生懸命作ってくれた自分の両親に感謝をしました。
勉強を一生懸命頑張って、学歴や資格、職歴というものを築き上げることができたからこそ、大きなピンチにぶつかっても人生を立て直すことができたと思っています。
でもそれは自分の両親がいたからこそ。
・・・なんてことを色々思いながら、昨日は感動的な一日を過ごさせていただきました。
まあそんなこと言っても、リアルタイムの中学生や高校生には想像もつきませんよね(笑)。
だから分からなくてもいいので、本当に心の片隅で、嘘でもいいので(お父さん、お母さんいつもありがとう)と思ってください。
いつか必ず心から感謝するときがやってきますから。
そんなわけで今日も右往左往しましたが、最後までお読みいただきましてありがとうございました。
M川君、おめでとうございます。
末永くお幸せに・・・。