成績優秀者発表!(某私立高校の高校1年生の女の子、学年6位!)
・・・というわけで久しぶりのブログです!
学年617人中総合6位!
ちなみに名古屋方面の某有名私立高校です。
早慶上智やG・MARCH、旧帝大にも多数の合格者を出しているバリバリの進学校ですね。
当塾に入塾してくれたのが今年の春先ですので、正直なところ、当塾じゃなくても同じくらいの結果は出ていただろうなと思います。
本人は英語系の大学への進学を希望しており、当塾でも山口が英語を担当させていただいているのですが、その英語よりも数学の方がいいという・・・。
文系で数学が強いというのは何にも代え難い強みではありますが、やっぱり山口個人としては英語を数学と同じかより以上に引き上げたいという気持ちが強いですね。
また、体育会系の部活を続けながらのこの結果ですのでまったく頭が下がります。
高校生の頃の自分に教えてやりたい・・・。
といわけで高校受験や大学受験を頑張る中高生のみなさん、部活で忙しいは何の言い訳にもなりませんよ!
【なぜ学歴が必要なのか??】
世の中学歴社会を軽視する傾向にあります。
学歴偏重主義ではよくない、学歴などではなく、その人の中身や個性をみて判断すべきだと。
でも残念ながらそれは詭弁でしかありません。
本当に勉強を頑張って東大まで合格して、『もう社会で必要とされることは学びつくした』と言って中退するようなホリエモンが言うなら話は分かりますが、頑張ってすらいない、目の前の辛い勉強から逃げ出した中高生にそれを言う資格はありません。
また、『日本史や古文なんて社会では使わないじゃん』なんて意見もあるでしょう。
でも正直なところ、こんなに日本では重宝されている英語ですら、みなさんが社会に出て使うことは稀有なのです。
そしてそんな英語ですら、『受験英語は実際のコミュニケーションには役に立たない』などといって、受験英語をやらなくてもよい理由にしてしまう受験生も散見されます。
少し話がわき道に反れますが、英会話教室などに通っても、自由自在にネイティブと渡り合うような英語力はつきません。
文字通り、挨拶程度の英会話は身につくかもしれませんが、相手が言っていることを100%理解し、自分の意志を誤解なくきちんと伝える英語力を身につけるためには、やはり英語と日本語の構造の違いを理解し、最低限の文法は学習しておかなければなりません。
もちろん、日本語をしっかりと話せるネイティブスピーカーが指導する英会話レッスンなら絶大な効果を発揮してくれるでしょう。
このことは自分の身を逆に置き換えれば分かります。
今からみなさんがロシア語を全く話せない状態でロシアに飛んで、『さあでは現地の方々に日本語を教えてください!』なんて言われても、できることなんて何もないと思いませんか?
せいぜい机を指さして、『これ は 机 です。』と繰り返したり、『こんにちは。 ご機嫌いかがでしょうか?』を反復する程度です。
逆に言えば、日本語が話せないネイティブスピーカーの英語の授業はこれと同じなのです。
もちろん、生きた英語を学ぶことは大切なことですが、せっかくなら日本語できちんとロジカルに指導ができるネイティブスピーカーに指導を受けていただきたいと思います。
話を元に戻します。
日本史や国語は確かに社会に出て使うことはないでしょう。
でもみなさんが受験するような大学、もっと言えばその先にあるみなさんが一生をかけて働いていく職場は、明らかにそれを求めています。
歯に衣を着せずに言わせていただくなら、受験勉強程度も頑張れない若者を、大学や企業は必要とはしていないのです。
それがきちんと測れるなら、その選定基準は英語や数学、古文や日本史じゃなくてもいいんです。
それこそモンゴル語だろうがスワヒリ語だろうが、考古学でも何でもいいのです。
みなさんが目の前の困難を乗り越えて、しっかりと論理的思考を身につけてきたかどうかを知りたいだけなのです。
みなさんを雇う企業の側に立ってみてください。
一生懸命中学高校の6年間を過ごし、一流大学に合格して4年間過ごしてきた学生と、特にそんな努力も必要としないFランクの大学(※誤解のないようにお伝えいたしますが、Fランクと呼ばれる大学でも努力している学生はいます)を卒業してきた学生ならどちらを採用するでしょうか?
職業選択の自由なんて言っていますが、もちろん選択するのは自由ですが、君が選ばれるか否かはまた別の話なのです。
これから先、望む望まないは別として、みなさんは長い人生で何度も何度も秤にかけられることがあります。
そして自分を選んでもらうために、与えられた時間は決して長くはないのです。
その少ない時間でみなさんの人となりを単純明快に伝えてくれるのが学歴なのです。
学歴社会というのはあまり良い言葉には聞こえないかもしれません。
ただ、みなさんに一生ついて回る資格なのです。
それに逆のことだってありますよ?
みなさんが重い病にかかったとき、一生懸命頑張ってきた現役バリバリのお医者さんと、大昔のお金さえ払えば合格できるような医学部を卒業したお医者さん2人いたらどちらに診察してほしいですか?
山口なら絶対に前者です。
それこそ当塾で医学部を目指して頑張っているような努力の人に診察してほしいです。
結局のところ、学歴というものは生きていく上ではどこにでもついていくものなんですね。
でもみなさん、学歴ってそんなに嫌なものですか??
山口も勉強が嫌で嫌で仕方なかったころは本当に嫌いでしたが、自分の頑張りがしっかりと見た目に現れるようになってからはものすごく楽しかったです。
むしろこんなに平等なものもないでしょう。
みなさんが社会に出てからは、一生懸命努力をして真に価値のある仕事をしても、それが理不尽に認められないことだってたくさんあります。
でも学歴はあまねく全ての学究の徒に平等なのです。
君が頑張れば必ず応えてくれますし、何の忖度もない評価をしてくれます。
その上で自分が本当に行きたい大学へ行けるかどうかが決まります。
甘ったれなさんな。
君が行きたいと思っているところは、きっと全国のみんなが行きたいところ。
君の『僕は僕なりに頑張ったんですが・・・。』なんて聞いちゃくれないのです。
それに『自分なりに頑張りました。』とか『忙しくて時間がありませんでした。』なんてことを言う中高生に限って、言うほど頑張ってないんです。
もしも今までサボってしまったけど、新しい目標ができたからこれから頑張りたい、というならそれはそれでいいのです。
ただしそのサボった分は、これから取り返すつもりで腹をくくって勉強しなければなりません。
この瞬間まで一生懸命頑張ってきたライバル達は、これまでにたくさんのものを犠牲にしてきたのですし、そんな連中はこれから先もどんどん前に進んでいくのです。
並大抵の努力でよいはずがない。
相対評価というのは万人に平等ではありますが、合格最低点に1点でも足りなければ不合格なのです。
・・・てなんか厳しいことを小難しく言いましたが、頑張るって本当に楽しいですよ!
何かに打ち込んでできるようになる喜びは、何にも増して素晴らしいものです。
YouTube観て楽しいなんてのは一過性のものでしょう?
5分もすれば霧散する程度の喜びです。
人生一度きりなんです。
どうせなら一生続いていく価値のある喜びを手にしてほしいと切に願います。