古文必須の大学を受験する受験生諸君へ
理数系科目担当の黒野先生が早速今年の名大二次の問題を解いたのだそうですが・・・。
物理がかなり難化していたとのことです。
国公立の二次試験の問題は2年周期で作成されることが多いとのことで(・・・と親せきが言っておりました。実は親戚に某大学の問題を作成している者がいます。かといって我々は何の恩恵も受けられませんが)、今年の難化傾向はおそらく来年も引き継がれることでしょう。
しかしながら実のところ、難化についてはそれほど恐れることはありません。
なぜならみなその問題は落としてしまうからです。
とは言いましても、名大を受験する層ですから、逆に言えばその他の確実に取れる問題は漏れなく取り切る必要があります。
今年はいませんでしたが、来年度は当塾からは4名が名大を受験する予定です。
万全を期して全員合格を取りにいきます。
【古文をやるならとりあえず助動詞を!(これから高校3年生になる受験生は、全員助動詞くらいは覚えておかなければなりません。)】
普段は英語や現代文の指導をさせていただいておりますが、たまに古文をみさせていただくことがあります。
最近では体験授業にお越しになる次期高校3年生には全員お話させていただいています。
さて、次期高校3年生諸君、古文の助動詞28個すべて言えるでしょうか??
またはこちらをご覧になられていますすべての保護者のみなさま、もし高校3年生のお子様がいらっしゃいましたらぜひ『古文の助動詞全部言える??』と聞いてみてください。
もし少しでもまごついたりするようであれば、かなり危険信号です。
間髪入れずに『未然形接続はるーらるすーさすしむ、ずーむーむず、まし、じーまほしで、連用形接続は・・・』と切り出せなければなりません。
国公立大学や関東圏の大学(GMARCH,日東駒専クラス含む)、関関同立や産近甲龍、愛知県なら南山大学や名城、中京大学、愛知大学あたりを受験する受験生ならば当然知ってなければなりません。
よく山口は『古文の対策は旧センターレベルなら100時間ほど(※旧センターは言うほど簡単ではありませんが・・・)』と言いますが、それは当然学校の授業もしっかりと受けてというのが前提であって、おろそかにしていいというわけではもちろんありません。
助動詞の活用と識別を覚え、敬語などもマスターし、古文単語も300単語覚えようとするならば、それはもう日ごろの地道な積み上げが必要になります。
そして『古文の助動詞を覚えていない』というのは、日ごろ古文に対しての取り組みがまったくもって甘いということを意味しており、(まあ日本語だから何とかなるだろう・・・。)と高を括ってしまっている可能性が大なのです。
ちなみに今の時点で助動詞が口をついて出てこないようであれば、それは英語でいうところの”can”や”must”などの、文字通り助動詞を知らない状態で英語の長文を読むようなもので、自殺行為と言わざるを得ません。
ここで恐ろしいのは・・・古文というのは日本語なので、まぁまぁ何となく読めてしまうことも多々あるのですが、残念ながら偏差値が55を超えるあたりの大学というのは、そんな受験生をふるいにかけるような問題を作成してきます。
例えばですが、『風立たぬ』と『風立ちぬ』、同じ『立つ』という四段動詞に助動詞『ぬ』が下接しておりますが、これはまあ何となく見た目のイメージで訳出来るのではないかと思います。
『立たぬ』の方は『立た(ず)』と未然形に接続しているので、何となく『風が立たない』みたいな訳が頭に浮かぶでしょうし、後者の『立ちぬ』は『立ち(たり)』と連用形に下接しているので何となく『風が立っている(吹いている)』みたいに感覚で訳せてしまうと思います。
しかしです。
次の二つの文章の場合はどうでしょうか??
①『来ぬ人を まつほの浦の夕なぎに 焼くや藻塩の身もこがれつつ』
②『春来ぬと 人は言えども鶯の 鳴かぬかぎりはあらじとぞ思ふ』
①②ともに『来ぬ』という動詞が使われていて、先ほどの『立ちぬ』『立たぬ』と違い見た目も全く同じですが、結論から言うとこの二つはまったく違う意味になります。
①は『ぬ+体言』なので、この『ぬ』は未然形接続で【打消しの助動詞「ず」の連用形】です。
訳については「来てはくれない人を・・・」と否定の意味になります。
一方②は『春来ぬ、と』つまりこちらは終止形なんですね。
したがってこちらの方は【完了の助動詞「ぬ」の終止形】ということになり、訳は『春が来た』で①の否定の意味とはまったく真逆になってしまいます。
ちなみに①の【打消しの助動詞「ず」】は「ず ず ず ぬ ね 〇」と活用し連体形の「ぬ」。
②の【完了の助動詞「ぬ」】は「ね ね ぬ ぬる ぬれ ねよ」と活用し、もちろん終止形の「ぬ」。
文章だととってもわかりにくいですね!
でもここでは、①「来ぬ人を」と②「春来ぬと」の二つの「来ぬ」が、見た目には全く同じで意味はまったく逆になることがご理解いただければ大丈夫です。
自分で言うのもなんですが、目の前で授業をやらせていただけるならば、この解説は5分で終わります。
まあそれはさておき・・・。
だから助動詞は大切なんです。
試験を作成する側の先生方はは、古文というものの読解や探究、文化的背景の理解などを求めているわけではありません(もちろんそれを求めている大学もあるでしょうが・・・)。
大学側がみなさんに求めているのは、「受験に必要なものを見極めて、主体的に取り組んできたかどうか」なのです。
(まあ古文は配点50点だし、日本語だから何とかなるだろう・・・)みたいな受験生は来なくて結構と思っているんです(※山口の発言思考ではありませんので誤解のないように!)。
その中でも冒頭の、「るーらる すーさすしむ ずーむーむず・・・」なんてのは平仮名の羅列を28個覚えてくださいと言っているだけで、接続や意味は学校の授業や演習でしっかりと蓄積すればよいのです。
厳しいことを言えば、活用や意味は100歩譲って覚えてなかったとしても、ただの平仮名の羅列を覚えていないなんてのは諸君の怠慢と言わざるを得ません。
断言します。
みなさんの脳なら一日で余裕で覚えられます。
意味や活用はあとで覚えればいいんです。
みなさんが接続を覚えない理由は(いやでも・・・ゆうても活用と意味って大切じゃん・・・。)と思っているからだと思われますが、そういう受験生に限って「ただの平仮名の羅列」にすら手をつけてないのです。
だからとにかく、あーだこーだ能書きは置いといて、とりあえずただの平仮名の羅列を28個丸暗記してください!
・・・でこんな話をしてると、(でも、それって本当に必要なんですか??)と懐疑的になる受験生もたまにいたりするのですが、じゃあ仮に山口が『古文は元々日本語だし、単語だけ覚えていればまあ何とかなるよ!』・・・なんて言ったらそれを信じるのでしょうか??
その『文法が必要ない』という根拠はいったいどこにあるのでしょうか??
うちは学習塾なので、もちろん受験に必要なものだけを塾生に全力で指導させていただいていますが、本当のところは学校の先生が全力で指導してくださっているものは、学ぶ側も全力で受け止めるべきです。
無駄なものなどあるはずがない。
山口が『古文の基本は100時間、GMARCHや関関同立は200時間』などと言っているのは学校の授業をしっかりと受けて基本を作り上げていることが前提となっています。
・・・というわけで、畑違いではありましたがなぜ『なぜ古文の読解に文法が必要なのか』をちょこっと・・・本当にほんのちょこっとだけお話させていただきました。
いや~しかし先日の現高校2年生の進研模試の古文はえげつなかった!
みなさん相当やられたのではないでしょうか??
そんなわけで、うちのT先生ほどではありませんが、山口もGMARCHや関関同立の古文なら対応できますので、塾生のみなさんは遠慮なくガンガン質問に来てくださいね!
【間もなく高校3年生の入塾は締め切らせていただきます】
・・・というわけで、本日もご入会のお電話をいただき、ありがたいことに着実に来年度分の枠が埋まって来ています。
もちろん退塾者などが出て欠員が出れば、その都度ご案内させていただく可能性はありますが、仮に定員に達していなかったとしても、遅くとも夏前には高校3年生の入塾は制限させていただきます(具体的にはゴールデンウィーク前後くらいです)。
当塾では不要な講習の押し付けなどはしたくありませんし、完全1対1のためそもそも人員が追い付きません。
そして最大限に厳しいことを言えば・・・、『天王山でも何でもなく崖っぷちの夏』まで受験勉強を放置した高校3年生が、たったの半年程度の期間で大学受験を乗り切ることは相当に難しいのです。
それは前塾で嫌というほど教えられました。
みなさん必死の思いでやってきます。
必死だから『夏期講習は50コマ頑張りましょう!』なんて提案もあっさり通ってしまうのですが、崖っぷちに追い込まれた高校3年生が、付け焼刃で50コマ100コマの夏期講習を受けても『焼け石に水』なのです。
毎日10km走り続けたランナーは2年間で7,300km走ることになりますが、それをたったの半年で同じ距離を走ろうとするならば『毎日40.5km』走り続けなければならない計算になります。
不可能ではないかもしれませんが、限りなく無謀な挑戦です。
マラソンランナーでもそんなことはやりませんし、できたとしても体はボロボロで、とてもじゃないですが戦える状態ではないでしょう。
今です。
今からやるんです。
夏なんておおよそ大勢は決しています。
新高校3年生の諸君、明日からではなく今から頑張りましょう!